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鬼と雨 ―国東半島・雨乞いの記憶―

更新日2019年06月26日

国東半島と水

 放射状に広がる細い谷。国東半島の歴史は水の確保とともにあります。
 平安・鎌倉時代の頃から僧侶達によって開かれた水田には、当時から多くの井堰(いぜき)がつくられたことがわかっています。その後、国東半島の谷川には多くのため池が形成され、クヌギ林の水の涵養(かんよう)とあわせて、世界にも稀な灌漑(かんがい)システムが形成され、世界農業遺産(GIAHS)に認定されるまでになりました。
 その一方で、農耕のために雨を呼ぶ「雨乞い(あまごい)」が国東半島では必要とされてきました。国東半島の各地には、雨を呼ぶための信仰が残されており、そこには鬼の姿もありました。

空木池(豊後高田市田染小崎)

雨を呼ぶための神事で行列を率いる鬼  ※出典:『春日神社潮汲絵巻』より

山での雨乞い 千把焚き

 「雨乞い」と聞いて、江戸時代などといった、かなり昔の行事と思った方も多いと思いますが、雨乞いの記事は昭和33(1958)年の"千把焚き(せんばたき)"で、当時の写真も残っていますし、平成7(1995)年に再現した際の映像も残っています。
 千把焚きでは山頂などで大量の草木を燃やし、その煙がやがて雲となって、雨を降らすと信じられていました。神事には神楽の鬼が欠かせなかったようで、映像を見ると鬼が出てきて山頂で舞っています。

出典:『豊後高田市史特別篇』より

昭和7年の千把焚きの再現(1)

昭和7年の千把焚きの再現(2)

川での雨乞い 潮汲み神事

 国東半島では、最もポピュラーな雨乞いの1つに「潮汲み(しおくみ)」があります。近くの川や海で汲んできた水を、神社・寺院の境内で撒くことで、その水が蒸発して雨雲となるという仕組みです。昭和初期までは各集落で行われていたようです。
 潮汲み神事に関しては、『春日神社潮汲絵巻』を見ると当時の様子が分かります。神に仕える鬼たちが、行列を先導し、人々を導いている様子を見ることができます。この潮汲み神事も、平成21(2009)年の春日神社の1200年祭で再現されました。

『春日神社潮汲絵巻』

大潮汲み神事の再現  ※春日神社HPより引用

春日神社(豊後高田市草地)

【 春日神社のページ 】

最終手段 川勧請

 千把焚きや潮汲み神事でも雨は降らない。そんな時、国東半島の人々は最終手段に出ます。
 その名も「川勧請(かわかんじょう)」。神輿や仏像・御経などを川に漬け、神仏の怒りによって雨や嵐になるようにしたと言います。
 豊後高田市田染地区では、昭和4(1929)年に川勧請をした記録が残されており、鎧ヶ淵に田染三社の神輿を筏(いかだ)の上に並べ、雨が降るまで祝詞(のりと)をあげたといいます。その時の行列でも、岩脇寺の鬼が先導役を勤めていたとされています。
 さらにその裏では「戸無し戸の口」という禁足の神域に参り雨乞いをしたとされます。戸無し戸の口には土蜘蛛が棲むとされ、禁忌を破ってそれを見た者は祟られ、高熱にうかされ、村は大嵐に見舞われるという伝承があります。

元宮八幡神社に飾られる川勧請の絵馬

川勧請の様子  ※出典:『豊後高田市史特別篇』より

西叡山の土蜘蛛のイメージ  ※出典:『豊後高田の民話』

【 元宮八幡神社のページ 】

 国東半島の様々な雨乞いについて解説してみました。【鬼と雨乞い】と言うと、少し意外な組み合わせにも見えますが、鬼が仏になった里「くにさき」ならではの文化とも言えるでしょう。