国東半島エリアに約10,000基あるとされている五輪塔。その殆どは中世につくられたもので、県内の中世石造物のうち約75%は五輪塔とされています。
県内での五輪塔の数は、国東市が1番多く(26%/約5,500基)、豊後高田市が2位(16%/約3,300基)です。3位の宇佐市、4位の杵築市と合わせると、県内の3分の2の五輪塔が国東半島周辺にあることになります。ちなみに中世石造物の密度で計算をすると、豊後高田が1位(20.4個/㎢)、国東市が2位(17.8個/㎢)となるそうです(参考:大分県教育庁埋蔵文化財センター編『豊の国考古学ライブラリー 大分の石造物 ~中世編~』)。
今回は国東半島で最もよく見かける中世石造物「五輪塔」について深掘りしてみます。
そもそも五輪塔とは?
五輪塔は古代インドの思想を元に、世界を構成する5つの要素「空」「風」「火」「水」「地」から構成されています。そのため、五輪塔の部品を上から、空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と呼んでいます(上部の2つが一体になっている場合は空風輪といいます)。五輪塔の5つの部品には、大日如来の真言を表す梵字「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」が彫られたり、墨で書かれたりしています。五輪塔が立体の姿となったのは、平安時代の日本とされています。
密教文化の影響を受けて、鎌倉時代の後半ごろになると、大分県・国東半島でも盛んに五輪塔が造られるようになってきます。
その用途ですが、よく五輪塔は墓だと言われますが、それ以外にも逆修・追善のための供養塔にも用いられていました。五輪塔の中には、遺骨やお経などを納入するための孔があいているものもあります。
また、国東半島では国東塔と五輪塔の様式が合わさったような特徴を持つものもつくられるようになります。五輪塔の水輪に首部や蓮華坐がつくられたり、空風輪が長い相輪になっていたりしています。
写真は川原板碑の横に所在する五輪塔(国東市)
本日紹介する五輪塔の位置図
特徴的な五輪塔を見てみよう!
10,000基もあれば、古いものから新しいもの、すこし変わった五輪塔も多数見られます。個性豊かな五輪塔を紹介しますので、くにさきを訪れた際に、会いに行ってみてはいかがでしょうか。
くにさきで最も古いとされる五輪塔(浜崎祖形五輪塔 大分県指定史跡)(国東市)
浜崎地区の小さな丘の上にある祖形五輪塔群は、国東半島でもかなり古いと言われている五輪塔群です。一石の五輪塔で平べったく、平安時代から鎌倉時代の作とされています。
くにさき最多の五輪塔群(旧千燈寺五輪塔群 大分県指定史跡)(国東市)
くにさきでも最多の五輪塔群なのは、旧千燈寺の五輪塔群になるでしょう。周辺には石垣で段が設けられ、千基にも及ぶとされています。伝説では、伊美の権現崎にあった五輪塔を、鬼が一晩のうちに抱えて運んだとされています。
磨崖の五輪塔群(夷地区 一部は国指定名勝/県指定史跡)(豊後高田市)
磨崖仏でも有名な国東半島。五輪塔も岩壁に彫り込まれている場所があります。
中でも夷谷にある中山仙境の東西の崖付近につくられた霊仙寺旧墓地・梅ノ木磨崖仏には、磨崖の五輪塔が多数並んでいます。夷谷には他にも磨崖五輪塔が多く残されています。
霊仙寺旧墓地・磨崖五輪塔
梅ノ木磨崖像(線彫五輪塔群)
道園東の磨崖五輪塔
真っ平らな五輪塔(霊仙寺・大応寺など)(豊後高田市)
五輪塔の中には、平べったい形をしているものもあります。
夷谷の古刹・霊仙寺の五輪塔は、正面から見れば五輪塔とすぐ分かる形をしているのですが、横面から見ると真っ平になっている不思議な五輪塔です。
田染地区にも、板状の岩に五輪塔を浮彫りにした石造物がいくつか存在します。大応寺にあるものは天正15年(1587年)の銘があります。
霊仙寺五輪塔(正面から見た図)
霊仙寺五輪塔(横から見た図)
大応寺浮彫五輪塔碑
大応寺浮彫五輪塔碑に刻まれている「天正15年」(1587年)の銘
双子の五輪塔!?(豊後高田市上香々地)
上香々地の今井薬師堂に向かう道すがら、向かって左側にひっそりとある地蔵堂の脇には、2つの五輪塔がくっついている珍しい五輪塔があります。2つ分の供養をしたものと思われますが、理由はよくわかりません。