豊後高田市の城跡を詳しく紹介!
大分県には約570ヶ所もの中世城館の遺跡が特定されており、豊後高田市内にも約30ヶ所の城跡があるとされています。以前より、市内の城跡について詳しく知りたいという声がありましたので、このたび市内の城跡のパンフレットを作成しました。
豊後高田市役所の各庁舎や、高田城跡の中にある中央公民館などで配布しております。ぜひ、パンフレットを片手に、市内の城跡までおでかけください。
パンフレット表紙
パンフレット
豊後高田市の城跡ギャラリー
高田城
高田城跡(陣屋跡)
高田城跡は、豊後高田市玉津・中央公民館周辺に所在した平山城です。現状の遺跡はほとんど竹中氏時代(近世初頭)に築かれたものと考えられています。石段の写真がよく使われますが、実は高田中学校や高田高校までスッポリ城の範囲内に入る巨大な城でした。
中世の史料には、高田要害として登場し、瀬戸内海から豊後国に入ろうとする敵兵を見張る重要な役割を果たしていました。
簡易裁判所の裏手にある土塁
高田高校付近の水堀
屋山城
屋山城看板
屋山城跡は、豊後高田市加礼川・長安寺の裏山にある典型的な連郭式山城です。天正7年(1579年)に、都甲谷で活動した戦国武将・吉弘統幸が、戦に備えた大改修を行ったことが史料で確認できます。
山頂からの眺めはすばらしく、扇状に広がる西国東の要(かなめ)として重要視された城跡であることが感じ取れます。
長い竪堀を伴う虎口が特徴的
城跡からの眺望(長岩屋・真玉が一望)
烏帽子岳城
烏帽子岳城
田染小崎のほたるの館から、ちょうど南側に見える烏帽子岳の山頂には、大友家臣・古庄氏が拠点とした山城です。54条も造られた畝状竪堀は、大分県内でも2番目の規模とされています。
真玉氏居館跡
真玉氏居館跡
真玉氏居館跡は、大友家臣の木付系真玉氏が戦国時代頃に築いた城郭とされています。中世の平城は珍しく、土塁や水堀が残されている場所は、九州でも数えるほどしかありません(県指定史跡)。
佐野鞍懸城
佐野鞍懸城
佐野鞍懸城は、近世初頭に高く積まれた石垣が残る城跡です。中世には鞍懸要害として登場し、大友氏に反乱を起こした田原親貫の家臣・如法寺親並・親武父子の無類の才覚によって、天正6年(1578年)に築城されました。